2010年8月8日日曜日

愛するわけ

わたしのような醜い男が愛されるわけはないのですが、それでもわたしが人を愛するときはわたしが愛されたときに決めております。
ここにしばしば登場する仙台もわたしの大切な娘もそうですが、何をどう思ったのか、わたしに好意を感じていてくれます。
その反射として、わたしは彼女たちの好意の量をはるかに上回る愛をもってお返ししています。
それは、当然のことで、わたしのような男に好意を感じてくれること自体が僥倖ですからね。

人生は、ときに不思議な贈り物をしてくれます。

ちなみに、わたしを愛してくれない妻も子どもたちもわたしの愛の対象から、今は外れ加減です。
少し、淋しいです。

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