ジョージさん、ジルベルトスタイルでくれないか
吉祥寺の老舗「GEORGE'S BAR」のジョージさんが亡くなった。
今年の8月だったそうだ。
そう教えたのはエディーズバーの藤田くんだった。
昨夜のことだ。
死んでもいい奴は山ほどいるのに肝心な人から死んでいく。
ほんにこの世はままならぬ。
軽口でもたたかねばやっていられない。
林の出が遅くなったその日、エディーズバーでわたしを待っていたのは藤田くんだった。
ブラッディマリー、今井清の感じでオールドタイプのマティーニ(この一品、そりゃあ丁寧にオーダーしました、馬鹿よばわりされぬために)、ドライマティーニと飲み進んだわたしは次にジルベルトスタイルのマティーニを注文したのでした。
ジルベルトとはあのロンドンデュークホテルのバーテンダーのことだ。
彼が、サンデー・サン主催のマティーニコンテストで作ったそのマティーニはずいぶんと評判を呼んだ。
そんなことも知らない、バーテンダーが巷にはごろごろしている。
バーテンダーはこだわりだけが命なのにそのこだわりがないのだ。
死んだほうがいい。
今年の8月だったそうだ。
そう教えたのはエディーズバーの藤田くんだった。
昨夜のことだ。
死んでもいい奴は山ほどいるのに肝心な人から死んでいく。
ほんにこの世はままならぬ。
軽口でもたたかねばやっていられない。
林の出が遅くなったその日、エディーズバーでわたしを待っていたのは藤田くんだった。
ブラッディマリー、今井清の感じでオールドタイプのマティーニ(この一品、そりゃあ丁寧にオーダーしました、馬鹿よばわりされぬために)、ドライマティーニと飲み進んだわたしは次にジルベルトスタイルのマティーニを注文したのでした。
ジルベルトとはあのロンドンデュークホテルのバーテンダーのことだ。
彼が、サンデー・サン主催のマティーニコンテストで作ったそのマティーニはずいぶんと評判を呼んだ。
そんなことも知らない、バーテンダーが巷にはごろごろしている。
バーテンダーはこだわりだけが命なのにそのこだわりがないのだ。
死んだほうがいい。
言い方がきついだろうか。
ならば言い換えよう。
バーテンダーとして生きている資格はない。
ジルベルトスタイルをわたしに教えたのはジョージさんだった。
「ジルベルトはもうつくらないことにしているんですがね」とジョージさんはすこし笑った。
足をとられて怪我をするお客さんが何人かいたというのだ。
写真はジルベルトスタイルの仕上げにオレンジピールを吹きかけるジョージさんだ。
わたしはジョージさん以外からこのスタイルのマティーニを飲むことに抵抗があったので藤田君の勧めるもうひとつのジルベルトスタイルを飲むことにした。
つまりはあれ、アンゴスチュラビターを垂らすタイプのほうだ。
しかしその味はスタンダードなジルベルトスタイルが勝るだろう。
嗜好だから個人差もあるが、バーテンダーの技量さえ確かならそういうことになる。
ジルベルトを飲んでいるときにうるさい客が入って来たのでわたしはそのまま店を出た。
この場合の「うるさい」はカクテルにうるさいではない。
ただ単にどうでもいい事をべらべらしゃべる輩のことだ。
何も考えずに生きてきたのだと思う。
まあ、それでもわたしの前にいなければ問題はない。
だから、去るわけだ。
外に出て、またジョージさんを思い出した。
そして冒頭のタイトルを呟いてみた。
九月も半ばをすぎた蒸し暑い吉祥寺の夜の話だ。
ラベル: 日常
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