2008年8月4日月曜日

一杯の酒は一杯の酒を呼び、その酒がつながれば、さらに一杯の酒を呼ぶ。
そのようにして、酒は酒と混じっていく。
それが、酒飲みの内部て生じていることだ。

酒が強いとか弱いとかは、赤ん坊の会話でわれわれとなれば、そのような会話はない。

ただただ飲むに過ぎない。

それが酒との向き合い方だ。

だからといって、酒は何ももたらしてはれないが、くれないが、それでも酔いという有り余る副産物をくれたりする。

「酒なくて、何の己が桜かな」

は、そんなところからいでましている。

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