23日の散策
この日は、塩見鮮一郎氏らと南千住から北千住までを歩いた。
現代の町の中に垣間見える歴史を話して頂いていたものだから、街がまるで違って見えてきた。
重層的に見えたというわけだな、と思う。
そういう目を人は忘れていく。
「三丁目の夕日」という映画はまさにそのあたりをついたのだろうが、塩見さんの話とは決定的な違いもある。それは塩見さんの本を読むことで見えてくるわけだから、彼の著作に譲るとする。
写真は小塚原刑場跡にある延命寺の首切り地蔵だ。
このあたりだけからも江戸の暮らしがほうふつと開いてくるところが、不思議だ。
人は実社会以外にも多くのものを見ることが出来る。
そこに花開く文学や絵画やマンガや映画…がある。
それはときとして、実社会以上の力をもつこともある。
ラベル: 日常
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