2010年2月23日火曜日

ここから見える眺め

人は自由の重さに押しつぶされそうになる。
自由、自由と叫んでみても、実態はそのようなものだ。
それでも「自由!」と叫ぶ。
そこからしか始まらない自分とのつき合いもある。

重さがかかれば、重みに耐えかねる自分に気づくだろうし、いままで重みを避けていたことにも気づく。

このごろは小さな会社組織に通っている。
若い人が作っている会社で彼らをときに鬱陶しく思い、ときにその無防備さに憧れる。
無防備は時間を浪費することのできる者の権利だ。
少し前まではわたしも十二分に無防備で空を見ていた。
あの頃見上げた空にはいろいろなものや人が浮かんでいた。

そのわたしは、何のバチがあたったのか、今では幽囚の身だ。
いつも書いているようにその身を嘆くことなく、修行と思い、顔を伏せながら逃亡を夢見ている。
どこからの逃亡かと考え出せば、その語りは長くかかる。

いまは、何が楽しいのか、それとも楽しい振りをしているだけなのか、動き回る若い男女の姿を眺めて生きている。
彼らがペルソナを生きているなら、それは自由からの逃避だ。
いやいや、別にそれが悪いと思っているわけではない。

それぞれがそれぞれに生きているだけだ。

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