2010年2月25日木曜日

形容のしようがない恐れもあるが

新宿駅の改札口を出、雑踏の中に身を置いた時から、わたしの気分は深く沈んでいた。
それはいつものことで、とりたてて今日がどうという変化でもなかった。
その雑踏も薄まり、余裕のある空間ができた頃、前から来るきかんきな初老の男が、わたしを押しのけてまっすぐに行こうとした。

その時とっさにわたしはその男に罵声を浴びせた。
男は聞こえぬ体で後姿を見せながら通り過ぎていったが、わたしは発した罵声を自分自身で聞いて、驚いていた。

わたしの中に怒りが渦巻いている。
それをのぞき見ることをしてこなかったわたしには、怒りの形状や正体を述べることはできないが、確かに怒りがわたしの中に巣食っていることを、とっさに出た罵声は教えた。

鬱気味の人間が立ち直っていく時、自罰性が他罰性へと転換していくという。
それは怒りを帯びた転換であるのだろう。

自分自身だからといって、自分が完全に理解しているはずもない。
むしろ、少しも理解していないと思っていて間違いないだろう。

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