再び「文七元結」
いやあ、大晦日の晩に「芝浜」ならぬ「文七元結」、堪能いたしました。
途中で泣いたりしましてね。
いや、なに、話にではなく、志ん朝の芸に、いやいや志ん朝の芸の上に乗った「文七元結」に。
なるほどなるほどと得心のいくお話でした。
で、同じくyou tubeに六代目円生の「文七元結」がありましてね、こちらは音声だけなんですけど、それを志ん朝氏の直後に聞いたのです。
わかりました。
なぜ志ん朝の「文七元結」にえらく心揺すられたのかが。
ま、六代目をどうのこうのと言うのではないのですが、円生の描く左官の長兵衛にはすごみが入っているんですね。
いえなに、ニュアンスの話ですよ。
でもって、長屋の人情話に必要な軽みが削がれるという感じになっています。
それが長兵衛のお久への愛情が直球で出てこなくなる非を生んでいるらしい。
(ほんとは円生落語に文句をつけるなんてとんでもないんですけどね)
というわけで、円生師匠の「文七元結」がもうひとつわたしにわからなかったのは、話の中の長兵衛、文七、お久の交感がわからなかったらしいのです。
この場合、聴き手としてのわたしの力量不足と言ってしまってもいいでしょう。
それが志ん朝の「文七元結」になると実によくわかる。
わたしにわかるように円生の「文七元結」を志ん朝が仕上げ直してくれたんですねえ。
ありがたいことです。
まず間違いなく志ん朝は六代目円生師匠から「文七元結」を継承しています。
それをかなりいじっております。
もちろん細部でですよ。
それがもう見事というか何と言うか。
よおっ、志ん朝!!
てなところでしょうか。
大晦日に二席の「文七元結」を堪能して、あらためて落語の奥深さに触れさせていただき、感動、心の内に留められず、ここに書いてしまいました。
みなさんはそれほど落語がお好きではないでしょうから無理なさらなくていいんですよ。
けど、不肖落語ファンのわたしは長年の「文七元結」嫌いから解放され、もうそれだけでこの一年がよい一年だと思えるんですよ。
たったこれだけのこと、それもこの一年の最終日の約3時間ほどの間に染み渡ったこの出来事だけで胸にすとんと幸せが落ちてきたのです。
幸せというのはそういうふうに一瞬で過去を変えてくれるのかもしれません。
いい年だったように単純なわたしは、いま思っています。
ではでは、ほんとうによいお年をお迎えください。
ラベル: 演芸